2020-12

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昔、佐和山に登ったこと⑳

佐和山城のすさまじい破壊を見た私は、再び滋賀県長浜市石田町を訪れた。 といっても、今から16年前の二〇〇四年の七月十七日、夏の陽射しがかんかんに照りつける暑い日であった。 初めての訪問からすでに二十年近くが経過していた。 訪れた目的は...
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昔、佐和山に登ったこと⑲

「城破り」の好例が、江戸時代、寛永十四年(一六三七)に起こった島原の乱の主戦場となった九州長崎県の原城である。 この城は、もともとこの地の領主であった有馬氏が築いた城で、有馬氏が慶長十九年(一六一四)に日向(宮崎県)に移されると、次の領主...
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昔、佐和山に登ったこと⑱

『城破りの考古学』という本によると、この「城割り」、「破城」には一定の暗黙のルールのようなものがあるという。 城というのは領民や他の領主に力を見せつけるために築かれたという一面をもっている。 それは、また、逆に考えれば、領民や他の領主を...
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昔、佐和山に登ったこと⑰

絢爛豪華であったはずの佐和山城の面影は現在の城跡ではどこにも見つけることはできなかった。 その現場で判明したことは、誰かが、故意にこの城を石垣の石に至るまで跡形もなく破壊したということであった 。一体、何のために、なぜこれほどまでに無惨...
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昔、佐和山に登ったこと⑯

桜井教授は、戦前、土砂に埋もれていた織田信長の居城、安土城の発掘に初めて携わった人物でもあり、安土城の他にも多くの全国の城の調査にも関わっていたという。 教授は、そんな貴重なお話を惜しげもなく、私に話して下さった。 私は、当時、絶版にな...
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