2020-09

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真田家と六文銭10

白鳥神社は海野氏の本拠地海野にあり、海野氏は滋野氏の本家としてその修験信仰をそのまま継承していた。 修験者というのは一面は確かに宗教者には違いないが、険しい岩山などで厳しい修行を積んだ彼らは山野荒地を駈け巡りどんな難路をも通行できる技術を...
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真田家と六文銭9

真田氏が自らの祖と主張する海野氏の名が初めて歴史に現れるのは、保元の乱(1156)を描いた『保元物語』である。 そこでは、源義朝指揮下の武士の中に海野幸親という武士の名がみえる。 その後、治承四年(1180)から源頼朝が平家打倒に立ち上...
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真田家と六文銭8

滋野一族は現在の小県郡東部町海野のあたりに本拠を置き、古代末期から中世にかけて、信濃の一大勢力であっが、やがて三家に分かれ、海野氏(東部町海野)、禰津氏(東部町)、望月氏(佐久郡)とそれぞれの居住地の名を名乗った。 そのうち、海野氏は滋野...
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真田家と六文銭7

以上のように、真田氏は徹底的に海野氏に成り切っていたとさえいえる。 これらのことから、真田氏の唱える海野嫡流説の主張は他の大名たちのように、単に系図の上での表面だけのものでないことが分かる。 松代真田の藩祖真田信之は妻の一周忌に建てた銘...
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